薔薇色の部屋

ちょっぴり工事しつつ更新します

心と体・感情と思考

世界で一人、私に魔法をかける人





ずっと昔、お布団の中で想像するものや、
繰り返し読んでいた本やその中の世界や、

音楽や、

友だちからもらった小さなメモや、

そんなものが、毎晩私を助けてくれた。

たとえほんの一瞬でも、眠れない夜の絶望から、ほんの少し気を紛らわしてくれるだけでも、
でもその一瞬が積み重なって、それらが私の命を救ってくれた。


それらは今も、同じ力を持つけれど
私はちょっと強くなって、

あの頃は彼らに、なんとか流れ出している血を止めてもらうことだけで精一杯だったのが、
傷を閉じ、治癒させたい、もうそれができる、と、いつの間にか思うようになって


治癒の魔法を探して、今日、ようやく見つけた、
その魔法を私にかけることができる、世界で一人だけの、私の魔法使い。

私に効く魔法のかけ方も、かける魔法も、その人だけが知っている、
たった一人の、この上なく貴重な、唯一無二の最高の魔法使い。




それは私。




その魔法を私にかけることができるのは、世界中に私しかいないことを、
今日、知っていたと気づいた。

その瞬間まで、知っているとは、知らなかったのだけれど。


どんな魔法で、どうやってかけたらいいか、わからないのに、
でも私だけしか知らないことも、私にしかかけられないことも、知っている魔法。

世界中で一番強い魔法。


それをかけると、私の世界が、見える景色が、私自身が、
予測もつかないほど素晴らしく変わるという魔法。

私だけにかけ、私だけに効くものなのに、
かけると当然のように、私の愛する人にまでかかってしまうという魔法。


早くかけたい、ねえ用意はいい、と私は胸に訊くけれど、
うん、という答えは、今日はまだ聞こえないから、

世界中でたった一人の、私に本当の魔法をかけてくれる人が、
うん、と答えてくれるまで、

人生で初めて、その人を本気で大切にしてみようと思う。


雨にも風にも当てたくないほどいとしいと思い、
どんなに傷つけられても、それでもまだ苦しみを代わってあげたかった、

最愛の人と同じくらいに。





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初夏の空、初夏の香り~遠くの誰かを思う気持ち




昨日の記事の最後に載せた写真と、同じ時に撮ったものです。

それまではまだ、「そんな気配がする」程度だったのに、
この写真を撮った日に初めて、朝から初夏独特のさわやかさと大気の香りをはっきり感じて、

ああ、一年で一番好きな一瞬の初夏が来た、と嬉しくなりました。




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自分のその反応に、人間も季節を全身の細胞ひとつひとつで感じているんだなと、この頃思います。
生き物なのだし、改めて言うほどでもない当たり前のことなんだけど、

季節の移り変わりを知らせる、はっきりとは言葉にできない「何か」「いろいろなもの」を、
全身で感じ取って、これまで生きてきた以上にそれに敏感になり、愉しみ喜ぶことができることが、

近頃、とても、とても嬉しいのです。




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この時は綿のようなやさしい雲が軽やかに富士山の上を飾り、本当に澄んだ爽快な空でした。

こんなに富士山に雲がかからず、すきっと晴れているのは、この季節だと一瞬です。
雲はどんどん流れて、富士山にまとわりついたり、また離れたり。

いずれ夏になると、この雪の帽子が消えて、全身が真っ青に空の色に染まり、
それも大好きです。




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ご近所の様子が写って、生活感バッチリになってしまいますが、こんな所から撮っていました。
この田んぼも、もう田植えの準備が整っていますね。

ちょっと歩いて行ったところにあるスポットで、ちょうど富士山が良く見えるのはいいのですが、
富士山のシルエットとまさに重なってしまう家と、青いビニールシートのようなものが、いつも残念☆


ところで、昨日の記事の中で触れた、人を思いやったり助けたくなったりする人情についてですが、

私には、人の持つ愛情や共感はとても自然なものであり、
小さな子供の頃から誰にでもある、あたたかい情だと感じるのと同時に、

でも一方で、自分の体験や知識、常識など、自然にわかっている範囲を超えた身近でないものは、
人はあるがままだと相手の身になって想像することが難しく、共感を感じにくい面があり、

そうした共感や想像の欠如が、今まで様々な差別や戦争などに繋がってきたのだとも思っています。




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少し前まで人間は、生まれた地域社会からほとんど出ずに一生を終えるのがほとんどで、
その狭い世界を広げてくれる情報もほぼ皆無だし、必要もなく、それも無理はなかったのですが、

(日本でいうと、江戸時代には、数年に一度訪れる富山の薬売りが仕入れてくる各地の話が、
非常に珍しい娯楽だったというようなことでも、今との違いを察することができると思います。)

自分の体験では測れない相手の体験を想像したり、自分の常識とは違う、別の視点や考え方を受け入れて、自分の感情だけにとらわれずに相手の身になってみようとしたり、

そんなことができるようになって、
より共感や愛情で人同士が繋がることができるようになるのを助けるのが、

TVや新聞、ネット等の情報の役割であり、教育の真の目的だと、私は思っています。


昨日あの記事を書きながら、それに触れることができず、うまく書けなくてもどかしかったので、
ちょっとだけ付け足し。




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だから、相手を思いやる人情は、自然な愛でもありながら、

それが直接自分と関係ない、色々な意味で遠い誰かに発揮される時、
それは小さな自己として生きる範囲にとどまらない、人としてより成熟した情でもあるのだけれど、

そんな素晴らしいものでも、知らないうちにそればかりに強く引かれて、
罪悪感や自己犠牲に絡めとられてしまうと、苦しい変なことになるので、

やはり自分の体と心に、いつも問いかけて確認しながら、自分の生活と安心感を大事にしながら、
健全なバランスを探すのがいいのだろうな、と。

そんなことを書きたかったのです。








初夏の富士山~心を痛めることについて




(先日の記事に続き、今日もどちらに投稿しようか迷って、心のブログの方にもほぼ全文を載せました。両方に来てくださって、なんだ同じだ、とがっかりした方がいらしたら、ごめんなさい。)


被災地の胸が痛む情報を耳にしながら、5年前とは違う自分を感じています。

あの時は恐怖心に巻き込まれ、その上そうして生々しい恐怖やショックを感じたり、
そういう情報を見続けたり、現地の人の気持ちを自分の実感のように感じたりしていないと、

いけないような感覚がどこかにありました。


当事者のようなショックを感じていることが、大人として、人として、正しい人情であり、
その状態から脱することに、罪悪感があったのです。

別にその時世間に強いられたわけではなく、私の中に人一倍そうした感覚があったのですが、
でも、それも、この数年の間に大きく変わってきました。


自分に起きたことではなくても、同じ地球上の他人の出来事に共感して、
胸を痛めたり、ショックを感じたりするのは、当たり前の人情だと思います。

他人事ではないと感じて、できる範囲で助けたいと思う気持ちや、自分にも何かできたらともどかしく思う気持ちも、どれもみんな他者を思いやる情として自然なもので、

人間にその気持ちがあるからこそ、これまでの社会に、支援や援助のシステムが作られ、
今も毎日大勢の人が行動したり、募金が集まったりしているのは、明らかです。

その気持ちは、自然でもあるけれど、人としての仁愛から出ている、尊いものだと思います。


だけど、私は今までのように、自分には何も変わらない日常が目の前にあるのに、それをごく当たり前に生きるのはいけない、被災地の人の立場に立って、一日中沈痛な気持ちでいなければ、

というような感覚は、もう違うのではないかと感じています。


私は機能不全家庭で育ち、子供の頃から自分より相手の気持ちを感じ、
自分を後回しにしてそちらを優先することが当たり前になってしまっており、

逆に自分のつらさ苦しさに健全に対応することができなかったため、
特にそうした傾向が強かったのだと思いますが、

どこかで大変なことが起きているのに、自分だけが変わらず平穏な生活を楽しむのは悪いような、
悲痛な気持ちで大変な人たちのことを考え続けていなくてはいけないような、

程度の差こそあれ、そんな罪悪感が私と同じように動く人も、他にもいるのではないかと思います。


でも、目の前の変わらない穏やかな日常、幸せな自分を、やめることに何か意味があるだろうか、
一日中胸を痛め罪悪感を感じて、つらい思いをし続けることで、

その出来事の一端を担っていることになるだろうか、
そうしていないと、不人情ということになるだろうか、と。


前の私はそういう気がしていました。
ちょっと笑ったりしたら、被災地が大変な時に人非人だと、誰かに非難される気がしていました。

でも、そんなことはないと、ようやく思うようになったのです。

5年前は、まるで自分が実際に震災を体験したかのようなショックと、当時感じていた体が芯から冷えるような恐怖心が、いつまでもいつまでも心と体のどこかに残って、何年も消えませんでした。

そんなショックの感覚や不安感を抱き続け感じ続けて、自分の心身を苦しめることが、
人を思いやることでも、人の役に立つことでもないと、今は思っています。


一日中、つらい思いを分かち合おうとしていなくてもいい。

ボランティアに駆けつけられない自分、何か具体的な役に立てない自分に、
罪悪感でいっぱいにならなくてもいい。

目の前の自分の生活が変わらず続いているのを、大事に感じて、味わっていい。

その落ち着いた気持ちが、周りの人にも影響し、誰かの気持ちも助けるかもしれません。

私はそうしたいと思うようになりました。


自分で自分の在り方を決める。
心身で感じたつらいことを、ずっと感じ続ける必要はない。

最近これらのことが、次第に実感として腑に落ち始めています。


回復のための治療法がないというレベルの虐待を受けて育ち、
家でも社会でもトラウマになる出来事満載のひどい人生から、それでも生き残り回復し始めて、

人のつらさを思いやれない呑気な言い分としてではなく、現実逃避のスピリチュアルな妄言でもなく、
不人情なのでもなく、思います。

目の前の生活を、幸せを、美しい初夏の空を、大切に感じて、味わおう、それが大事なんだ、と。


私にとって簡単に書くことが難しく、でもどう書いてもこう思うようになるまでの経緯全て、根拠すべてを述べることもできず、誤解の可能性がないように書くこともできない、という恐れを感じ、

書かない方がいいかと思ったけれど、独り言として書いてみました。
誰かの心に届いたらいいなと、今日は思います。


被災地の方々や、心配する親類縁者の皆さんのお気持ち、関係各所で働く方々のご苦労を思いながら、明日も、自分の小さな幸せも、大切に感じようと思います。



BLOG3469 (2)



画像は昨日の朝のさわやかな富士山。
また他の画像も載せますね。

今日も読んでくださってありがとう。






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