薔薇色の部屋

ちょっぴり工事しつつ更新します

【スピ】前世と直観の不思議な話

強烈な直観?~わかるはずがないことがわかる時




タイトルと背景などを元に戻し、しばらくはまた、私の日常の中にあって、書きたいことは何でも気楽に書いていくブログにしよう、と思っているのですが、

私の中にまだ「怪しく思われてしまうかも」という恐れがあるのか、無意識でつい後回しにしがちな不思議な話も、ちゃんと書いていこうと思います。

それも私の日常や感覚の中に、あるわけなので。(笑)


それで今日はさっそくひとつ、その関連の話を。

子供の頃から、周りが驚いて、自分も不思議に感じるような勘の良さや、ちょっと怖い体験、言葉にできない感覚など、色々と過敏な自分を感じてはいましたが、

通常の感覚や感情まで極端に否定される環境に育ったことで、自分でも積極的に否定するようになり、なのに反対に、その感覚を押し込める苦しみも、どんどん強くなるような状態が長年続いていました。


そんな年月の中で、自分からは近づかないのに、不思議と霊能力とか超能力というような不思議な力を持っている人との接点が時折あり、そんなときはなぜか必ず先方から、

あなたも見えてるよね、だいたいわかってるよね、というような言葉をかけられ、

そう言われると、自分の中の感覚を認められた気がしてホッとする一方で、いやいや私には特殊な感覚はない、ちょっと勘がいい時があるだけ、とかなり頑なに思っていたのです。


でも、本当は認めたかったのだと思います。

自分の中に、敏感に色々なものを察知する感覚があるということを。
ありのままの自分を。


そのせいか、ルカちゃんが特殊能力に目覚め、私の感覚のことも、その信頼できるルカちゃんに言われるようになってから、初めて少しずつ認めることができるようになっていった気がします。

以前、前世の話を少し書いた時に触れた、驚くような特殊能力が開花してしまった私の友人、ルカちゃんの話、覚えてくださっているでしょうか。

私の前世をいくつか教えてくれた、あの女性です。

※まだ読んでいない方は、こちらからどうぞ→「見えないものが見える友人~ルカちゃんの告白」


ルカちゃんによると、私の感覚は霊能力といわれるような特殊な形をとっていないだけで、それに等しいか、むしろ上回って正確なものだ、とのこと。

直観が非常に鋭く、更にそれを補助する色々な資質が加わっているため、

ごく普通の霊能力レベルの人たちに比べて、結果的にずっと「見えている・感じている・わかっている」のだそうです。

(ごく普通のレベルの霊能力って・・・という部分は、深く追求しないでください。笑
話すと鳥肌立つほどの力を持つルカちゃんに比べたら、殆どが小さな力なのだと思います。)


ただ私の場合、自分にとってはそれが生まれた時から当たり前の感覚なので、ほかの人も同じように感じていると思っていて、特別なものとは思っていなかったのだ、と。


「だから花陽さんは霊能力者とか、占いとか、いらないんですよ。
自分の直観の方がずっと強いから。

花陽さんは自分だけ信じてください、人に聞くと間違った情報が入っちゃいます。

・・・で、花陽さん、私のこれから、どうですか? 何か感じます? 
花陽さんが感じること教えてください、なんでもいいです!」


と、当時色々と悩んでいたルカちゃんが真剣に訊くので、思わず笑ってしまったのを覚えています。

彼女は人のことは、怖くなるほどよく見えるのに、自分のことはわからないのだそうです。
そういう意味では、そういえば私もそうかも。(笑)

占い師も自分のことは占えない、などと聞きますが、やっぱり思考や感情が邪魔をするからかしら。


ルカちゃんにはそれからも、時々彼女のことについて、「花陽さんの直観はなんて言ってます?」と訊かれましたが、そのたびに、本当に彼女には、私の直観が信頼できると感じられているんだな、と、

当時まだ全然自分自身を信じられずにいた私には、それは身の内にろうそくのやさしい明かりがともるような、そんなあたたかく感じられることでした。




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さて、その私の「直観」ですが、一言では説明できない、色々な感覚が入っているように感じます。
なので、感じることも、わかることも、その時々で色々。

勘がいいという言葉では説明しきれないような例をひとつ書くと、


12歳くらいの時のこと、誘われて断り切れず、学校の先生のお宅に大勢の同級生たちと伺った時、同じく教師をしている先生の奥さんも一緒に座を囲んだのですが、

その時、一切何も関係のある話も出ていないし、先生ご夫婦に興味もないし(生理的な嫌悪を感じる先生だった)、恋愛や結婚、出産など、家庭的なことに興味も憧れもまったくなく、

早く帰りたいと思いながら、映画の一場面を客席から見るような感覚で、その場の様子を眺めていただけだったのに、

なぜか突然、奥さんのお腹に赤ちゃんがいることがフッとわかって、

何か答えたくない話を向けられた時に、話を逸らそうとそれを遠回しに話題にしたところ、奥さんと先生にものすごく驚かれたことがあります。


長年授からなかったので、やっと授かっても慎重になっていて、まだ一切周りには知らせていないのに、お腹も出ていない初期なのに、どうしてわかったの、と、奥さんにかなり何度も聞かれましたが、

私にもわからなかったのです。

ただ、突然、はっとわかったというか、言葉にするなら、「その情報が入ってきた」というような感じでした。

こんな風に、私にはまったく知りたいとも思わないし、知ったからといっても、喜びを共にして自分も幸せな気持ちになるとか、何か他のことと関連性があるなどということもなく、

私自身にまったく関係ないようなことでも、わかる時にはわかるのですが・・・だからなんだ、という感じで、全く気にしていませんでした。


それに、ここまではっきり「なぜわかったのか常識的には理由がない」という例以外は、たいてい何かしら説明をこじつけることができるので、自分の中で理屈をつけてしまっていましたし、

中高生の頃、女子たちにカード占いを頼まれて、占いの解説書には書いていない読みまでどうしてわかるのか、怖いくらい当たるけど、何か噂でも聞いて知っていたのか、と言われたり、

自分自身でも、当たる時には、勝手に情報が流れ込んでくるような不思議な感覚があること、当たらない(わからない)時には、それがないことなど、思い当たることがあったのですが、

まあ、自分が敏感で特別だって思いたい年頃だしね、そんな風に友達に褒められて、ちょっといい気になりたい思春期だしね、思い込みだよね、と、

まるで思春期の少女らしからぬ冷めた視点で、常に自分とその感覚を否定してしまっていました。


なので、「これは思春期の人間が、自分を敏感で特殊な力があると特別視したくて、ごく当たり前の人間の第六感や直観を誇張してとらえているのとは、ちょっと違うかも」と初めて自分で思ったのは、

大学生になってからの出来事だったのです。


(続きます!)→ 続きアップしました「壁をよじ登るロミオ~わかるはずがないことがわかる時 2







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クララのような前世3~現実(足)との一致



連続記事の4回目です。まだの方はこちらからどうぞ。
(どの記事からでも、順番に続きのリンクが開くようになっています。)

「見えないものが見える友人~ルカちゃんの告白」
「クララのような前世1~窓の外に憧れた人生」
「クララのような前世2~古い記憶との符合」

*****

そして、もう一つ、何年も経ってごく最近になってからふと気づき、どうしてこれに気付かなかったのだろうと愕然としたことがありました。


これもまた中学生の時、私は右足の土踏まずの上(内踝の下)にある骨にひびが入る怪我をし、骨折以上につらいことになり、それからごく最近まで、そこに鈍痛があるのが当たり前になっていました。

そして高校生になった時に、やはり右脚を12針縫う怪我をし、大きな傷跡が今も残っていること、

次は大学生の時、またしても右の足首をひどく打撲し、それもまたそれ以来痛みが消えないだけでなく、足首の前面の筋肉が腫れあがったように変形したまま、元に戻らないこと、

更に社会人になってから、右の足首の急所に重いものが直撃し、しっかり治療しないと一生まともに歩けなくなりかねない、と医者に言われる怪我をしたこと・・・


等々、右足に全治一カ月以上かかる大きな怪我ばかりしていたことに、おかしなようですが、初めて気づきました。

右だけでなく、常にかばう癖がついていた左足も、いつも負担がかかって痛みがありましたし、それだけではなく、子供の頃からサイズの合わない靴を履いていた苦痛も、相当なものだったのです。


つまり私は今までの一生のほとんどを、足が常に痛いのが当たり前の状態で生きて来て、そういえば去年この記事 ↓ でもその話を書いていたのに、

なぜルカちゃんの話を聞いた時、すぐに結びつかなかったのだろうかと、自分でも不思議です。

「薔薇のバレエシューズ2~私と足が経て来た道」

(母の思い込みと自分の無知で、1㎝以上も小さい靴を履き続けてきた話です。美しいバレエシューズの画像は、その前の記事に、より多く載せています。→「薔薇のバレエシューズ1」


これだけのことに「気づかない」などというのは、普通ではありえないおかしいことに思われると思いますが、大きな怪我の痛みを特に重大なことと認識できないほど、もっと苦痛なことが日常に頻発していたので、

怪我が多いことも、痛みも、数えきれないそれらの苦痛の中に埋没してしまっていたのです。

私が当時感じたよりずっと、ルカちゃんの教えてくれた情報は正しかったんだなと、これに気付いた時、改めて思いました。


そして更に、初めて変だと気づいたことがありました。

いつも足が痛いのが当たり前だったのに、私は歩くことが好きで苦と思わず、京都にいた20代の頃などは、例えば一条戻り橋辺りから出町柳駅まで、京都御苑を通って片道30分ほどの道のりを、

好んで往復していました。

怪我の跡があちこち痛んだだけではなく、上のバレエシューズの記事に書いたように、まだ当時は全く足に合わないサイズの小さな靴も、勘違いしたまま履いていたので、

夜になるといつでも、部屋の中を普通に歩くこともできないほど足が痛み、足の側面やかかとだけで、狭いワンルームの中をよちよち移動したり、立って料理もできないほどになっていたのですが、

それが当たり前だったので、諦めて何も対策をしないまま受け入れていたのです。


よく考えてみたらつくづく変ですよね。
足がいつもそんなにも痛いのに、歩くのが大好きなんて。

そして、そんなにも痛いのに、それが当たり前だと思って、何もせずに諦めていたなんて。


そんな普通ではあり得ない矛盾も、今生の私の環境や問題などの現実的な視点をちょっと置いておいて、その前世の話を思うと、なんとなく納得がいくような気がします。

痛くても当たり前だから仕方がない。
でも歩けるものなら、それでも歩きたい。

・・・だったのかもしれないな、と。



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最後にもう一つ、今私がとても興味深く感じているのは、去年体験した足の変化と、それを経てこの記事を書く時が、こうして来たということです。


バレエシューズの記事でも書いたように、この数年は足の痛みもかなり軽減してきていたのですが、半年ほど前、冷え対策で試したことが、意外にも足の症状に驚くほど劇的な効果を発揮し、

長年しこり状になって残っていた、右足首のねんざの跡の筋肉の盛り上がりが、目を疑うほどあっという間に、殆ど目立たないくらいに消えていくのを目の当たりにしました。

そしてほとんど同時に、その部位の痛みも、中学生の時からの慢性的な土踏まずの痛みも、数日間激しくなった後、信じられないほどきれいに引いていったのです。

当然一生付き合うものだと、諦めていたのに。
あの驚きと不思議な感覚は、ちょっと言葉では言い表すことができないほどでした。


「後ろの私」も、楽になったかな。

もしかして、足(脚)の痛みがこんなになくなったということは、もう私の後ろにいる人は、その人ではなくなって、他の人に交代したのかもしれません。

そして私も、その人の影響を受けた静かな毎日から、少し違う生活へと変化している現在を感じています。










クララのような前世2~古い記憶との符合




連続記事の3回目です。まだの方はこちらからどうぞ。

「見えないものが見える友人~ルカちゃんの告白」
「クララのような前世1~窓の外に憧れた人生」

*****

でも、その話を聞いている最中から、ひとつ古い記憶を思い出していました。


それは、中学生になってまだひと月も経たない時のこと。
背伸びをするにしてもなぜあんな本を選んだのか、今から思うととても不思議なのですが、

私は学校の図書室で、もう市の図書館まで行かなくてもここで好きなだけ大人の本が借りられる、とうっとりしながら、大好きだった古典の名作などがひしめく棚にはなぜか見向きもせず、

名前だけは知っていたフランス文学やロシア文学に、真っ先に手を出したのです。


でも、貸し出してもらって家で根気よく読むうちに、次第にとてつもなく気持ちが悪く、怖くなってしまいました。

そりゃそうです、12歳でモーパッサンだのドストエフスキーだの読んだって、わかるわけがないし、重苦しすぎて怖くなるだけだもの。

私の色々ある早熟過ぎる不適切な読書体験のうちでも、けっこう強烈な記憶のひとつです。(笑)


おかげでそれ以来、私の仏文学と露文学との縁は、限りなく浅く遠くなってしまいましたが、その時の記憶の中で、ひとつだけ異質な印象のものがありました。

フランス文学の中にほんの数行だけ出て来た「主人公の叔母さん」の描写に、理屈では説明できないほど強い共感のようなものを感じ、それが何十年経っても消えないほど、深く記憶に残っていたのです。


一生家の中で大人しくひっそりと生き、家族の誰からも忘れられている影のような存在の、孤独な「主人公の叔母」。

家の跡継ぎとして婿を取れる長女でもなく、持参金を持って嫁ぐことができる裕福な家の娘でもなく、又はそれらがなくても容姿が良くて、条件のいい相手に見初められる幸運に恵まれるタイプでもなく、

生家で余計者として年を取るしかなかった、平凡な女性。
昔は日本でもヨーロッパでも、男女ともにごく普通にあった人生です。


主人公の若さや希望ある未来との対比で、そんな叔母がたった数行登場しただけだったのですが、そこを読んだ時、なぜかハッとして、

胸をえぐられるような強い痛みを感じ、理屈で説明できないほどの感情で凍り付いたことを、今もまだ思い出せるほどはっきりと覚えています。


まだたった12歳で、結婚どころか恋愛にさえまったく興味がなく、また、影のようどころか、お願いだからほっといてほしい、と、色々な意味での周囲の注目をうるさく苦痛に感じていて、

つまり何ひとつ共通点などなかったにもかかわらず、なぜ、既に初老という感じの、その影の薄い孤独な女性に、恐怖のようなものを感じるほど共感し、苦しくなったのか、

それは文豪が読み手に与える力の大きさだけでは説明がつかない特別な痛みで、
自分でもまったくわからず、長年不思議なままでした。


ルカちゃんの話を聞いていた時、その時感じた強い痛みのような感情と共に、その記憶が自然と浮かび上がってきて、

ああ、あれはその「前世の私」の悲しみであり、記憶だったのか、そのクララのような人生の女性が、自分もこんな風に孤独だったのだ、と訴えていたのか、と、とても腑に落ちた気がしたのです。




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そして、もう一つ、何年も経ってごく最近になってからふと気づき、どうしてこれに気付かなかったのだろうと愕然とした、現実との具体的な一致がありました。


(続く)→ 続きアップしました。「クララのような前世3~現実(足)との一致













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