先日この記事に書いた、私のうに子がそんなにも愛しているうにちゃんですが、
容貌だけをいうと、けっして目鼻立ちが美しく整ったタイプではありません。

かなりはっきり見えるといっても、ウニちゃんわーるどはあくまでイメージの世界なので、
写真や動画を見るように細部までわかるわけではなく、時によって見え方も違うし、

何より、目で見ているというより、感じていることを視覚に変換している、
とでもいう感じなのですが、

それでも、

ほっそりと華奢な骨格も、小さな目鼻立ちも、
うにちゃんの顔立ちや表情は、私にはかなりはっきりと見えています。




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うに子も私も、子供の頃から美しいもの、キラキラしたものが大好きだったし、

人の美醜にも敏感で、雰囲気がかっこいい人、とか、美人だと思われている人、というような、
世間の評判と骨格的な美が殆ど一致しないことも、子供の頃から不思議で仕方がありませんでした。

芸能人などを例に、こういう人が異性に好かれる雰囲気がある人で、美人やイケメンと称されるし、本当にそう思われているらしい、ということは徐々に理解したけれど、全く共感できなかったのです。


しかも20代の頃にはデッサンの基礎を、少しですが学びました。

目でものを正確に見る訓練も進み、それまでは世間での評判が正しくて、自分の感覚が間違っているようで怖かったのが、骨格や造作が整った美の判断に、確信が持てるようにもなりました。

つまり人を見た時、私の中で、
目鼻立ちの美醜の判断と、全体の雰囲気や内面からくる美が、混じってしまうことがないのです。

たとえば、服や化粧で美人の雰囲気を出しているけれど、実際の目鼻立ちは小さい、とか、
とても整った美しい顔立ちなのに、性格や服装が地味なために、自分も人もそれに気づかないらしい、

といった具合に、自然とわけて見ていますし、
その人を人としてどう感じるかも、もちろんそれとはまた全く別のことになります。

(人に会った時、私はどうやらかなり観察が細かいというだけで、容貌ばかりを冷徹に見ているわけではないのですよ☆ 興味がないと、ほとんど何も見ていなかったりしますし。笑)



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だから、うにちゃんの目鼻立ちが美男子タイプではないことも、
一目見た時から、よくわかっているのです。

普段の私なら、それが一瞬たりとも揺らぐことはありません、間違いようがないことだし、
前述のように、その人の人間性に好感を感じるかどうかと、美醜の問題は、あまり関係がないのです。

なのに、どうしてか、うにちゃんだけはそうはいかない。


うにちゃんは本当にちまちました、造作の小さな子で、
おっとり薄い眉も、ぱらっとついたような小さな鼻も、口も、

前髪に隠れてしまいそうな小さなやさしい目も、

どこにも目立つ特徴もなく、美的にかっこよかったり、かわいかったりする子ではないと、
よくよくわかっているのですが、

それでもどうしたことか、本当に不思議で不都合なことに、
私にはうにちゃんが、たまらなくいとしいだけではなく、

美しくも見えてしまうのです。


うにちゃんの周りに、いつもキラキラと光が輝いているように見えるし、

小さな目がにっこり微笑むと、
世界中が光ににじむほど、美しいものを見た気がしてしまうのです。




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でも、今までの私は、そんな風に感じる自分にそのたびものすごく動揺し、

どういうこと、これ。ばかじゃないの、私。
いくら愛情が先立つからって、デッサン的な視覚まで狂うなんてこと、あるわけないのに、

ここまで目がくらむなんて、いくらなんでも恥ずかしくないの。

と、長いこと、誰に言わなくても、そう感じるだけで、
それがなんだかとてもいけないこと、恥ずかしいこと、怖いことのような気がしていたのですが、


まあいいや、それで。だって仕方がない、そう見えてしまうんだもの。
私にはうにちゃんが世界中で一番かわいいんだもの、と

最近やっと、それでいいと自分の中で受け入れられるようになり、
怖くて仕方がなかった、うにちゃんへの自分のどうにもならない強い愛情も、

同時に受け入れた気がしています。



☆「Beauty is in the eye of the beholder.」 ~  美は見るものの目の中にある。