ある友人が以前、「花は紅 柳は緑」という言葉通りの、目の前のもののただあるがままの美しさを感じてみたいと言っていた。

感情や記憶に味付けされない、ただただ、そのままを見たい、

そんな風に見ることができたら、きっとそれは、それそのものの真の姿、本当の美しさを、見ることができたということではないだろうか、

どんなに美しいことだろう、と。


感情というものが、人間にとっては何よりも強く作用する、個としての存在の根源的なものだと感じていた私は、それを聞いた時驚いて、

個人としての感情や記憶を伴うからこそ、感じることが多様になり、鮮やかで豊かになるのに、それらを全部排除して、ただそのままを眺めるなんて、不可能だし感動が減ってしまうのではないだろうか、

と、彼女の言うことを不思議に思ったのも覚えているけれど・・・




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先日、以前と同じこの場所から、繰り返し見た夕暮れの空を撮りながら、
以前とは全く違って、感情を感じずにただ淡々と、空そのものだけを見ている自分に気付いた。

疲れて、ちょっと頭や感情が麻痺している傾向も、あったかもしれないけれど。(笑)
それでも、その平静さは、やっぱり前とは全く違っていた。


自分のあれやこれやの感情や記憶に邪魔されず、ただ、暮れゆく空のみを見ている単純さ。

少し暑いし疲れたな、という「個の自分としての思い」が一瞬よぎっても、
すぐにその思いは流れてどこかへ消え、ただ目の前の空を見て、感じている、ただそれだけの自然さ。


子供の頃から夜景を見ただけで震えるほど寂しくて、
なのに同時にとても惹かれて、いつまでも見ていたくて、

自分で自分の感情の強さに翻弄されながらも、でもそれがとても大切だった私。


特にここ数年は、どんなに忘れたくても忘れられないつらい記憶に悩まされて、
眠っている時には悪夢としてそれを何度でも再体験し、

泣きながら目を覚ますと、醒めた瞬間から止めようのない記憶の反芻という苦しみが繰り返され、

なんとか食料を買いに行く間だけは泣かないようにと我慢して、泣いた顔を帽子などで隠し、やっとの思いでこのスーパーの駐車場に車を止めても、

ドアを開ける前に、歩いているカップルや家族連れを見ただけで涙が溢れて止まらなくなり、
通り過ぎる人に不審に思われないよう、車の中で身を潜めて何十分も、よく泣いていた。


目に入る夕暮れも、夜空も、いつも美しかったけれど、
その美しい空とは何の関係もないつらい記憶が体中に満ちていて、私には悲しいものとしか映らず、

美しいのに、いつもますます悲しかった。




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1時間近く経っても泣き止むことができず、顔もぐしゃぐしゃで、

車から降りるのを諦めて、泣きながらの危ない運転をして、
結局何も買うことができずに帰ったことも、数えきれなかった。


なのに今、その同じ場所から、ただ、空そのものを見ている。
記憶を引っ張り出したり、感情でいっぱいになっていたりしないで、ただ、空っぽの率直さで。


人間は感情の生き物だということは、今も変わらず確信している。

だからあれこれの記憶や感情を、この自分独自のものとして楽しむのは、生きていることの醍醐味だとも思う。

大好きな人と見た花も、悲しい思い出のある花も、同じ花にしか感じないなら、記憶や時間を積み重ねて、感情をもって、自分という命とこの世界を体験している意味がないではないか、と。



でも、それはあくまで「オプション」なのだ。




BLOG1894




記憶と感情が結びついているのは、当たり前だと思われているけれど、実はそれは選ぶことができるものだということを、今、身をもって、やっと体験しているのだと思う。


例えば、昨日まで一緒に暮らしていた最愛の人を亡くしたら、一日の生活のすべてが愛する亡き人と結びついているから、しばらくは一日中つらい思いが出て来て、止めようがないだろう。

その状態で、感情はオプションであり選べる、なんて思わない。
もちろんそれは違う。


でも、その時のつらい感情や記憶を、物や景色、香りや言葉、季節感など、何かと結びつけて、

年月が経っても、その結びついてしまったものを見たり感じたりするたびに、つらい感情を条件反射的に引っ張り出すことは、

けして、避けられない人間の心の自動的な仕組みなどではなく、
その反応を選択しないことも、実は選べるのだ。

ちょっぴり練習はいるけれど。



数年前と違い、もうつらい記憶にほとんど害されることなく、ただ空の色を楽しんで眺めている自分を感じ、友人の言葉を思い出すと同時に、心の奥でぼんやりと思っていた。

つらい記憶をすべてと結びつけず、いつまでも思い出すことを選ばないと決めた結果が現れ始め、
こうして感情と記憶の混じりけなく、ただ見ることもできるようになってきた一方で、

これから幸せなことがある度に、それと何かを記憶として結び付け、

忘れずに繰り返し思い出しては幸せな気持ちになる、ということも、
オプションとして積極的に選んで楽しんでいこう、と。




BLOG1892 (2)




それを人は、思い出というのだから。











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