連続記事の3回目です。まだの方はこちらからどうぞ。

「見えないものが見える友人~ルカちゃんの告白」
「クララのような前世1~窓の外に憧れた人生」

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でも、その話を聞いている最中から、ひとつ古い記憶を思い出していました。


それは、中学生になってまだひと月も経たない時のこと。
背伸びをするにしてもなぜあんな本を選んだのか、今から思うととても不思議なのですが、

私は学校の図書室で、もう市の図書館まで行かなくてもここで好きなだけ大人の本が借りられる、とうっとりしながら、大好きだった古典の名作などがひしめく棚にはなぜか見向きもせず、

名前だけは知っていたフランス文学やロシア文学に、真っ先に手を出したのです。


でも、貸し出してもらって家で根気よく読むうちに、次第にとてつもなく気持ちが悪く、怖くなってしまいました。

そりゃそうです、12歳でモーパッサンだのドストエフスキーだの読んだって、わかるわけがないし、重苦しすぎて怖くなるだけだもの。

私の色々ある早熟過ぎる不適切な読書体験のうちでも、けっこう強烈な記憶のひとつです。(笑)


おかげでそれ以来、私の仏文学と露文学との縁は、限りなく浅く遠くなってしまいましたが、その時の記憶の中で、ひとつだけ異質な印象のものがありました。

フランス文学の中にほんの数行だけ出て来た「主人公の叔母さん」の描写に、理屈では説明できないほど強い共感のようなものを感じ、それが何十年経っても消えないほど、深く記憶に残っていたのです。


一生家の中で大人しくひっそりと生き、家族の誰からも忘れられている影のような存在の、孤独な「主人公の叔母」。

家の跡継ぎとして婿を取れる長女でもなく、持参金を持って嫁ぐことができる裕福な家の娘でもなく、又はそれらがなくても容姿が良くて、条件のいい相手に見初められる幸運に恵まれるタイプでもなく、

生家で余計者として年を取るしかなかった、平凡な女性。
昔は日本でもヨーロッパでも、男女ともにごく普通にあった人生です。


主人公の若さや希望ある未来との対比で、そんな叔母がたった数行登場しただけだったのですが、そこを読んだ時、なぜかハッとして、

胸をえぐられるような強い痛みを感じ、理屈で説明できないほどの感情で凍り付いたことを、今もまだ思い出せるほどはっきりと覚えています。


まだたった12歳で、結婚どころか恋愛にさえまったく興味がなく、また、影のようどころか、お願いだからほっといてほしい、と、色々な意味での周囲の注目をうるさく苦痛に感じていて、

つまり何ひとつ共通点などなかったにもかかわらず、なぜ、既に初老という感じの、その影の薄い孤独な女性に、恐怖のようなものを感じるほど共感し、苦しくなったのか、

それは文豪が読み手に与える力の大きさだけでは説明がつかない特別な痛みで、
自分でもまったくわからず、長年不思議なままでした。


ルカちゃんの話を聞いていた時、その時感じた強い痛みのような感情と共に、その記憶が自然と浮かび上がってきて、

ああ、あれはその「前世の私」の悲しみであり、記憶だったのか、そのクララのような人生の女性が、自分もこんな風に孤独だったのだ、と訴えていたのか、と、とても腑に落ちた気がしたのです。




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そして、もう一つ、何年も経ってごく最近になってからふと気づき、どうしてこれに気付かなかったのだろうと愕然とした、現実との具体的な一致がありました。


(続く)→ 続きアップしました。「クララのような前世3~現実(足)との一致