12月30日の朝の空。




BLOG1710 (2)




8時半でも冬はまだこんなに太陽が低くて、ちょうど電柱にかかってしまっているけれど、
逆にそれが日光で霞んでいることで、どれくらい太陽が眩しいかより感じられます。


今日は曇りがちの、朝から寒い日だったけれど、こちらではお昼過ぎから太陽が顔を出して、
それから少し暖かくなりました。

そちらはどうでしたか? あんまり薄着でいないでね、体が冷えてしまうから。
あったかくしていて。




BLOG1712 (2)




昨日の夕方、疲れて寂しい気分になりながら外を歩いていた時、ふと、これまでとは一段違う腑に落ち方で、感情も思考も自分とイコールではないというのが、わかった気がしました。

これまでずっと、体の不調や不快の大部分を感情と勘違いしてきて(あるいはすり替えてしまって)、体を休めるべきところで、暗い気持ちを追い払おうと、逆に余計無理に活動したりしてきたけれど、

昨日は、ああ、これは今暗い気持ち(感情)として感じ取ってしまっていて、その他の物とは思えないけれど、たぶん体が疲れているからに違いない、と普段より早く気づくことができ、

更に、その暗い感情が自然と色々なつらい記憶や思考を引っ張り出してくるけれど、それもまったく今この瞬間、私と何の関係もなく、体が疲れていることとも関係ない、意味のないただの反射反応であり、習慣なのだ、

と、それも冷静に判断できたのです。
追い払ったり、何かしようとしたりせず、淡々と暗い感情を感じたまま、それと距離を置きながら。

その距離が、今までよりも離れていて、とても楽に感じました。


言葉で説明するのが難しいけれど、

「不快は暗い気持ちとして正直に感じているけれど、その気持ちをものすごくつらいと思う必要がない」という状態が、あ、観照するってこういうことか、と、これまでよりわかったのです。

体の疲れや不快を感情のつらさと勘違いすることも、暗い連想を始めてしまうことも、ただの習慣なのだ、だからそれを怖がって追い払おうとしたり、逃げようとしたりしなくていいのだ、と。

受け入れる、ただあるがままに感じる、ということも、きっと同じなのだろうと思う。




BLOG1713 (2)




自分の心身の正直な声を聞くのに慣れてゆけば、もっと体の疲れや不快を敏感に察知できるようになるだろうし、それで気持ちが連動して落ち込んだとしても、無駄な暗い思考や記憶を繰り広げて、不快を増幅するようなこともなくなってゆくだろう、

そちらが習慣になるまで、ちょっと注意して根気強くこの練習を続けたらいいだけだ。
初めてはっきりそう思えたし、

今まで頭でいくら、どんな感情もみな等しく受け入れたらいいのだと言い聞かせても、陰の感情をまだ怖がり、怯えながらそうしようと自分に強いていたに過ぎなかったことも、はっきりわかりました。


不安や恐怖を楽しむところまで一気にはいかないけれど、
自分が怯えていたこと、もうそうして怯えることはないことが、ふっと腑に落ちたので、

その実感は一回で身に付くものではなく、これから繰り返し螺旋を描きながら定着して行くものだとしても、とにかくまた少し進んだ、また楽になった、と嬉しくなりました。

私の世界がどんどん、本来の光を取り戻し、らくに、幸せになっていっている。
空を見ても、寒い中歩いていても、水を飲んでも、そう感じています。



私は今日、こんな感じ。

あなたは?


天と、私の代わりに、自分にとってもやさしくして。
たいせつに扱ってね。


おやすみなさい、明日もあなたが幸せですように。